文化・芸術

神輿を担ぐということ

昨日、ふなばし市民まつりに参加して神輿を担いできた。

S20080727431_2

神輿を担ぐのはこれで3年目。
やってることを考えると、ただ重たいものを運んでるだけなんだけど、
一度やってみると毎年やりたくなってしまうのが不思議で、自分なりに神輿にはまってしまう理由を考えてみようと思う。

理由その1.達成感が感じられる
神輿はそのルートやタイムスケジュールが明確にきまっていて、担いで少し進む→休憩というサイクルを繰り返す。
つまり、全工程に対して細かなマイルストーンがいくつもあり、ひとつひとつのマイルストーンをクリアしていくことで最終的なゴールに到達する、というプロセスが達成感を生むことにつながっている。

理由その2.連帯感を感じられる
神輿はただでさえ重いのに、足場の影響や担ぎ手の身長差などで神輿の重心がずれたりすると体が壊れるんじゃないかと思うほど重くなる。
そんな重みをひとりで長時間支えることは厳しいので、担ぎ手はつらそうな人を見つけては交代しながら担いでいくことになるが、そのような助け合いが連帯感を生む。
いかつく怖そうなお兄さんにも妙な親近感を覚えるのが不思議。

理由その3.注目される
やはり神輿はまつりの目玉。まつりを見に来ている人からも、他のまつりの参加者からも注目される。
注目されるときに感じる優越感のようなものがくせになってしまう。

理由その4.自分に自信がもてるようになる
前に書いたように神輿は重い。
でも担ぐのが不可能な重さではなく、かなりつらいががんばれば担げるくらいの重さ。
そんな重さのものをぼろぼろになりながら担ぎとおせたと思えたとき、オレもやればできるじゃんと思うことができる。

理由その5.ご利益がある
神輿は小さな神社であるわけで、それを担ぐということは神さまを担ぐということ。
実際担ぎ始める前と、担ぎ終わったあとにはちゃんと神官によって神事が行われる。
担ぎ手はいわば神の使いというわけだ。
神の使いになった人間に対しては間違いなくご利益があるでしょう。たぶん・・・

神輿は長い年月をかけてこのような“はまってしまう”、高いモチベーションを与えるための仕掛けを作り上げてきたと考えると、歴史ってすごいわと感じてしまう。
逆に考えると、このようなうまい仕組みを作るには長い年月が必要なのかもしれない。
短い時間で考えた小手先の仕組みを入れても仕事が簡単には良くならないのは当たり前なのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

潮見駅付近の造船所

最近、通勤で乗っている電車から見える船に目を奪われることが多い。
といっても海に浮かんでいる船ではなく、造船所で作っている船。

木造の船で流線型と木の色が非常にきれいで、ヨットに乗る趣味はまったくないのに思わず「欲しいっ!!!」って思ってしまう。
これは乗り物だけど芸術品ですよ。
他の乗り物で木造って思いつかないね。そう考えると船って特別な乗り物なんだなぁ。

JR京葉線の潮見駅付近 から見えるその造船所をしらべたら、
佐野造船所という所で小型のヨットやボートを作っているところらしい。
ヨット1台で1000万~2000万。
もちろん手が出ず・・・

なぜか昔から、僕は木を加工して物を作りだすことにとても憧れるんだけど、
それはもしかしたら子供の頃に父親が日曜大工でいろいろなものを作るのを、
すごいって思いながら見ていたからかもしれない。

ん~、やっぱり父親たるもの日曜大工ができないとね。
今年中に何か作ろうかな。イスとか。
ゆくゆくはベースを作ってベースビルダーとして生計を・・・
夢がふくらむな~~。

佐野造船所

| | コメント (0) | トラックバック (0)